食べ物で好きなものは何ですか?
僕はすしが大好きです。エビ、ウニ、トロ、イクラ・・・・考えているだけで、、ふふふふふ、毎日すしを食べていても飽きないですね。
僕も同じです!今度皆ですしを食べに行きましょうか?
いいですね、賛成!!
ところで、すしの歴史は知っていますか?
いや、そういえば全く知らないですね・・・・
多くの日本人も大好きで、欠かすことが出来ない国民的な料理である「寿司」について簡単に歴史をお話しします。
寿司の歴史を知ってより寿司を美味しく楽しみましょう!
すしのルーツは保存食
すしのルーツは東南アジアの魚肉保存法にあると言われています。米飯等の澱粉質を使用した発酵食品でした。最初にすしの文献が登場したのは奈良時代の文献(734年、正倉院文書など)で、鮨、鮓の記述が見られます。
そんな昔からすしがあったんですね~1300年のすしの歴史!ロマンを感じます!
最初はすしに米はなかった
最初の古代すしは、魚と塩と米のみで「ホンナレ」と呼ばれて保存食・貯蔵食でした。ナレとは発酵を意味し、この発酵に用いる米は食べませんでした。この古代すしが今に残っているのは「ふなずし」です。この古代すしは作るのにとても手間と時間がかかるため、簡素化しようと長い歴史をへて大きく進化してきました。
※現存する古代のすし、鮒ずし
米を食べていなかったとは驚きです!米は捨てていたんです?もったいないですね~いつから米を食べるようになったのですか?
簡略化のすし革命が起こる!
すし革命その1、米を食べる!
室町時代や戦国時代になると、米は大衆でも食べるようになり、米を捨てることに抵抗を持つようになりました。しかし発酵による匂いと酸味が強かったため、発酵度を落とし米が誰でも食べれるよう改良され、保存食からは脱却することになりました。このすしは「ナマナレ」と呼ばれています。
すし革命その2、酢を使う!
米を食べる様にはなったもののすしを作るにはとても手間がかかりました。ホンナレは1年以上発酵にかかり、ナマナレでは一週間かかっていました。そこで改良された方法は、発酵過程を持たない酢を使う方法でした。発酵過程を持つ従来のすしは「発酵すし」、この発酵過程を持たないすしのことを「早すし」と呼びます。
すし革命その3、酸っぱければ良い!
18世紀後半以後の田沼意次や将軍徳川家斉の時代は貨幣経済が進み消費が拡大したわいろと享楽の時代で、「魚と飯を使う酸っぱい料理であればよい」という考えで、次々と工夫をこらしたすしが生み出されました。早すしは、魚の形をとどめる「姿ずし」、切り身の魚を用い箱や桶を用いる「こけらずし、箱ずし」へ進化しました。
このころに、すだれを使い海苔をまいた「巻きずし」や、油揚げを用いた「稲荷ずし」も登場しました。
すごい!どんどんすしは進化してますね~でもまだ、普段食べているような寿司から遠いですね・・・
握り飯が寿司に!
現在の寿司、いわゆる握りずしが誕生したのは文政(江戸時代末期)の江戸でした。当時は職を求めて多くの男性が江戸に集まり、稼いだ日銭で外食をする習慣がありました。すしも家で作るよりも外で買って食べるものに変わっていきました。
ここから寿司の登場ですね!
そこに目を付けたのが、華屋与兵衛というすし商人でした。与兵衛は初め箱ずしを売り歩いていましたが、
「時間がかかるし、魚の脂身が抜けてしまう、何か改良できないか?」考え付いたのが、押さず握るだけの「握りずし」でした。
従来の箱ずしと平安時代から食べられている握りめしを組み合わせたものでした。これがいわゆる「江戸前寿司」の始まりとなります。
※浮世絵に描かれた寿司(歌川広重作)
寿司、かっこいい~
寿司は国民文化に!
関東大震災後に握り寿司の職人が故郷に戻るなどして寿司の技術が各地に伝えられ、寿司文化が広がっていきました。戦後になると、大家族から核家族化が進み昔ながらのちらしずしなど家庭すしが作られなくなり、握り寿司が主流に代わって行きました。最近では回転寿司やパック寿司などお手頃な価格で気軽に寿司が食べれるようになり日本人の食には欠かせない「国民食」となりました。
すしの歴史、まとめ
すしは「簡単にちゃちゃっと作ろう!」とドンドン手抜きにシンプルに作ることによって進化した料理と言えます。シンプルだから故に難しい!ことから同時に職人技が必要になってきたのかなあ、と思います。今後、どんな寿司へ進化していくのでしょうか?
僕は手巻き寿司が大好きです(^^)(^^)(^^)。是非、一緒に行きましょう!
最後まで読んでくださり有難うございました!
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