「激しく追いかぶさり、重なり合って、隆起し下降し旋回する。縄文土器の紋様にふれると誰でもがドギッとする。」
これは自分の言葉ではありません。
巨匠、岡本太郎さんの言葉です。
イラストレーターのまさひろです!
去年くらいに世界的なオークション会社で、1億9000万で売れた歴史的文化財があります。
それは”土偶”です。
今世界の注目が集まっていて、ひそかにきている縄文!
実は漫画家を目指していた時に、縄文時代をテーマにした作品を作りたいと考えていて縄文については興味はあったんです。
しかし、表面的な感じで「なんか土偶カッケー!」としか思ってませんでした。
なので、少しだけ調べてみて土偶の魅力を深く知りたいと思ったのと、ほかの人にもそれを伝えようと思い縄文時代について調べていたら、かなり想像を超えていて、けっこう深みのある時代なんじゃないかと考えるようになり、途中から自分の想像も止まらなくなってしまいました。
それでその想像がかなり膨らみ、それをある形にしてみたい、または見てみたいと思ったんです。
その形は、恋愛物語です!!
調べて、少しどういうスタイルだったか知っていくにつれて、この時代の恋愛物語を見てみたくて仕方なくなってしまいました。
皆さんはもう知っていることかもしれない歴史の常識的な事柄かもしれないですが、自分にとっては勉強を全くしなかったので新鮮なことばかりでした。
今回はまずは縄文に興味を持っていただきたいので、その一番びっくりした事と、あととっつきやすいようにその時代の物を知っていただければと思います。
【縄文の脅威!想像を超越する持続力】
縄文の魅力
- 様々なものに施されている柄がおしゃれでカッコいい!
- 土偶の種類が豊富で、すべてクオリティーが高くユニークで面白い!
- 土器も同じくカッコいくて面白い。
- ヒスイとか飾り物が美しい。
・・・物ばかり。
あと面白いと思ったのが、
文明の続いた年数が驚異的に長い!!
縄文時代って何年続いたかご存知ですよね!
自分は知りませんでした・・・
なんと!12000年も続いたんです!!今から約15000年前だそうです!
いま、西暦ではありますが2016年です。この約2000年を約6回繰り返したって考えると頭おかしくなります。
100世紀も持続している!脅威です!
なぜここまで持続できていたのか。
それは、縄文人たちのライフスタイルが実はかなり洗練されていたからです。
森を計画的に作って管理し、集落の中に道を作りそれに沿うように住居もたてていた。
そして、縄文人は世界と異なり、農耕の文化になることはなく1万年狩猟採集をしていたんです。
それはあえてそれを選んでいたそうです。もうそのころから海の向こうの朝鮮半島と通じていたので農耕の文化は大陸から流れて来ていたのですが、縄文人はそれを選ばず拒否したのです。
もうこのころには日本に四季もあり、季節に合わせた活動をしていたそうです。
自分はここにものすごい面白さを感じたのです。
詳しく調べる前まで縄文人は原始人みたいな感じのイメージを持っていました!
ほぼ全裸で、動物の毛皮だけきている。実用的なものだけ身に着けている人達だとおもっていました。
しかしそうではなく、生活の中で管理したり計画を立てたりしていた。しかも農耕はしないというこだわりもあった。
ということは、考える能力や自分たちの価値観があり、そして、それが約1万年も壊れることがなかった。
彼らの中で統一された倫理みたいなものもあったんじゃないかと思ったのです!!
その固さは100世紀の固さです!!
武士道のような昔の日本人が皆意識に置いていた価値観のようなものです。
縄文人たちは心の中心に何を置いていただろうか・・・
ある一つの説がありました。
縄文をさらにミステリアスにするアイテムたち。
土偶
縄文人たちが心の真ん中に置いていた物、それが土偶でした。
土偶の存在は縄文人にとって、とてつもなく大きな存在だったのではないかと言われてます。
縄文の社会では人間の支配者がいなかったそうです。これすごいっすよね!みんな自由!
なので、その社会の中で人々の心のよりどころになっていたのが、土偶だったのではないのかと。
人は皆土偶を中心に集まっていたんです。集落も時がたつにつれ、散らばっていたのがある一定の場所に纏まり、その中心の集落に土偶が大量にあったのです。
(縄文前期にでき巨大集落や竪穴住居ができていった。1500年は定住していた。)
アクセサリー
自分的にはこのアクセサリーの存在もなかなか想像力を刺激させられました♪
耳、腕、足、腰、首、髪・・・いろんなとこに着けていたそうです!
ヒスイで作られているのもあり、それも綺麗でした!!
100世紀も続く文化なのだから、価値観の統一感はすごいんだろうなと思っていたけど、このようなオシャレなどは自由にしていたんだと思ったときに、装飾物があったということは着飾ってオシャレをしていて、それの目的は、自分の美意識的な欲求を満足させるだけのためにあったのか?
それとも、現代人の様に異性に振り向いてほしいという目的があったのか?
とすると、そこには比較の意識が出てくるから、比べた者同士でどちらかが結果を得たりするのであれば、そのあたりから闘争心的なのも生まれてくるんじゃないだろうか?
もしそうだったら、この時代でも、価値観の対立はやっぱりあって、それでも、100世紀続いた。
100世紀の間に何か彼らの中での歴史的革命のようなできごともあったはず!
「遠いところに見たこともない土偶様があった!!」みたいな♪
などなど今は妄想が止まらない状態になっています。
縄文ポシェット
秋に栗を入れていたのではないかと言われています。
土器
土器も様々な形のものがあり、イギリスの研究者が破片を調べたところ、土器に魚の成分の混ざったおこげが付着していたことを発見しました。
縄文の恋はどんな形?
争い事があったとしても中心に土偶があったのかな?
誰かと誰かが喧嘩したときも土偶の存在が役に立つときがあったのか?
土偶を作るのは男だったのか?
この時代ではインテリ風の職人だったのか?宗教者感も含んでいるかもしれない。
それを好きになった女の子の方が結構気が強い感じのキャラだったりして。
オシャレをして比べあうなら、その時代の男たちよりも女たちの方が野心的で、行動的で、反土偶って言ったりして。
それでも100世紀続く魂がある。
ちょっとジブリ風味がすごい気がしますけど(笑)
そんな設定の妄想が止まらない縄文時代を魅力的に感じていただけたら嬉しいです♪
自分の代わりに面白い発想考えてくださったら教えてください。