活用史観で斜め上に創る尾張名古屋史(2)
みなさん、おはこんばんちは。村上春樹が再燃中の友人屋です。あ、アツいのは最新の「騎士団長殺し」じゃなくて「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」ね(古っ)。小説の舞台が名古屋なのですが、うっすらした充足感と閉塞感と劣等感が漂う名古屋の空気をうまく捉えているなぁ、と感心しながら一気読み。好きだけど傷つきたくないから突き放したりするよね~と半身浴フロ本する42歳のオッサンは気持ち悪いですね。
さて「うっすらした充足感と閉塞感と劣等感」、この空気は幕末の尾張藩から変わっていないと言っていい。
歴史は生きている人が活用するもの
…なんて司馬遼太郎さんみたいな物言いをしてしまいましたが、題名に「My」をつけているように、ここで書くことは司馬史観ならぬ「私(友人屋)」が思う歴史観です。本能寺の変で織田信長は死んでなかったという妄言を吐くつもりはありませんが、明智光秀は討たれずに天海僧正として家康の政治顧問になった…ぐらいの自由度は、あっていい。本当は違うぞ!なんて目くじら立てないでくださいね。そもそも歴史に正しい、正しくないなんてなく、時代、主観によって違って当然ですものね。事象はあるけど、ハッキリしていないグレイな部分をどう繋げるかは自由なはず。
いや、今を生きる人のためになるなら「嘘も方便」ぐらいでもいいのでは。
例えば、福山雅治が演じた坂本龍馬も、柴咲コウが演じている井伊直虎も、事実として伝えられている「点」を小説家が「線」に紡いだものを、さらに脚本家がTV向けに着色したもの。100円コンビニに置いてあるカフェラテよろしく、どこまで本当の成分が入っているか分かったものじゃない。でもそのモドキで家族を養い、ウマイと喜ぶ人がいるなら、それはもうカフェラテと言っていい(くどい)、ですよね。
と、前戯がネチネチ長いですが、このぐらいのスタンスで尾張名古屋の歴史をみなさんと共有していければ幸いです。そういう見方もアリかもね、ぐらいの温かい気持ちでお付き合いください。
ややこしい幕末ワードを確認
とはいえ、幕末の尾張藩の活躍を!と言ったものの、どこから、どう説明すれば分かりやすいか…。自分も初めて司馬遼太郎の「龍馬が行く」「王城の護衛者」やらを読んだ時「攘夷」「公武合体」なんて言葉に戸惑い、辞書引いたりしながら読んだなぁと思い出します。
ちなみに分かりにくいなぁと思ったワードは
●尊王:日本は天皇中心!
●攘夷:外敵(外国の侵略)撃退すべし!
●佐幕:お世話になった徳川家を守る!
●公武合体:朝廷(公)と幕府(武)が手を結んで安定政権を。
の4つ。
この異なる4つの思想がぶつかりあって、正しい今の日本に着地したんだな!司馬遼太郎、面白い!と思っていました。歴史小説読み初めの頃は。
そもそも争う必要があったのか?
歴史マンガ「風雲児たち」の作者みなもと太郎さんが仰っていた「幕末(1850年ごろ)を描くためには、関ヶ原の戦い(1600年)から描くしかなかった」というお話が実に的を射ているのですが、例えば歴史小説読み始めの頃の印象だけで、私が編集すると…
(1)幕府が外国に脅され、勝手に開国して、不平等条約を結ぶ(1853年)
(2)天皇は攘夷と言っている。
(3)これからの日本のために、天皇の元、長州(山口県)と薩摩(鹿児島県)が手を結び、考え方が古くて意見が合わない幕府を倒そう!
(4)天皇を戴いた官軍、長州と薩摩が、武力で倒幕!明治維新万歳!
とざっくりこんな感じ。
とにかく幕府側は考え方が古くて間違っているが、新しくて開明的な薩長は正しいのだという感想でした。
ところが色々な本を読むと、幕府側も当初は攘夷だったし、薩摩と長州も開国やむなしと思っているし、そもそも当時の孝明天皇が幕府(佐幕派)を頼りにされている。
「思いは1つじゃん?」となってしまったワケですよ。
そこで、先の(1)の前に
(0)九州地方を制覇していた薩摩島津氏と中国地方を制覇していた長州毛利氏。関ヶ原で徳川に敗れ、外様大名としてこき使われる。この恨みはらさでおくべきか。
を置くと、維新という綺麗な言葉ではなく、その復讐劇?という一面が浮かび上がってくるのです。
あれ?尾張が出てこなかったや。
次回も乞うご期待!