「デブ歴=年齢」でも痩せた、インストールダイエット(1)

ダイエットにやる気も努力もいらない

みなさん、おはこんばんちは。近代日本の“立役者”尾張藩の伝道師、郷土歴史タレントの友人屋です。日々サラリーマンとして心をすり減らす仕事をする傍ら、心を慰撫する目的で尾張藩の幕末の活躍を紹介するブログを書かせていただいているのですが、ライフワークがもう1つあります。それは

ダイエット!

生まれて42年。記憶がある頃にはすでに太っており、小学1年の頃には「ドラえもんデブ」という、22世紀にも通用しそうなポップなあだ名を拝命。ぽっこり出たお腹のためにチャックが閉まらない子として、学区では有名人でした。小学2年の頃、特別に水泳部入部を認めてもらってからは若干デブが薄まったものの、夏と冬で15kgの差が出る妊娠線スイマーとして、姉からイジリ泣かされたものです。

女の子の目線を気にし始める中高時代も基本デブ。高校時代には学年デブ三傑の一角を占めるようになり、あだ名が「親方」「ブリ(満員電車でブリッと屁をこいたから。諸説あり)」とつけられるヤツに次ぐ猛者として体育教師の目にとまり、やりたくもない体操係を3年間ずっとやらされていました。大学時代には、アブラのためか頭髪が薄くなりはじめ

まぁ、これ以上は、涙でパソコンモニターが見えなくなるのでやめましょう。とにかく40年以上ずっと「身長ー1001020kg」という日々を過ごしていました。

脂肪細胞は3歳までで決まるのか?

なんてこと聞いたことありませんか?私も「ずっとデブなのは細胞がそうなのだから、しょうがない!」と毎日あきらめて、毎日ハラ10分目のノルマをこなしていました。思い立って、ご飯の量を減らしたり、ランニングを始めてみたりするものの、人間の持つ恒常性維持機能はコワイもので、驚くほど痩せない。

モテたくてモテたくて、一時期熱心にジムに通っていたのですが、痩せないものは痩せない。リンゴダイエットもバナナダイエットもあんぱんダイエットも、まぁ言わずもがな。3歳で決まってしまっているのだからと自身に言い聞かせ、親を逆恨みしていました。

でもそれは覆せますよ。身をもって言い切れます。3歳までに、決まりません。大丈夫です。

デブ歴=年齢の男。コンビニで運命の出会い。

「生き残る男は細マッチョ」みたいな本が言うことにゃ、仕事がデキる男は自己管理がしっかりできるために、結果デブはいないということらしい。

ちなみに、自己啓発本はよく読むのですが、 体型とは真逆にメンタルは希志あいのレベルの極細なので、題名から否定されているこの本は、逆に傷つけられそうで未読。近々読んでみますが。

だからということではないと思いたいですが、休日出勤が常態化していた私。土曜日は職場に誰もいないのをいいことに、お菓子を2袋ほど持ち込み、 カチャカチャ 、ポリポリ、指ナメナメ、キーボード・リターンという、仕事ターンとお菓子ターンのハーフ&ハーフが普通になっていました。

その土曜日も、いもけんぴとポリコーンをキメようと、最寄りのコンビニへ。いつもはペディグリのネコも驚くほどお菓子コーナーにまっしぐらなのに、雑誌コーナーのある本が「オレを読め」と言わんばかりに自己主張しているのに気づき引き寄せられていきました。

ターザン704号。

それまでにも何度となく買ったことがありましたが、試すまではほとんどいかず、脳内トレのみ。でもその号で目を引いたのはトレーニングメソッドではなく、この方。

Gackt先輩のロングインタビューが掲載されていたのです。特にファンではありませんでしたが、その日は読まずにいられませんでした。

「自らの未来のため、大切な家族を守るためには、強いメンタルとフィジカルがいる」
「鍛えておくのは、漢(おとこ)としての義務」
「モチベーションが切れる?そんなの鼻クソだよ」
(Tarzan No.704)

そんな熱いメッセージがスッと入ってきた感覚をいまでも覚えています。

そしてダイエット開始の頃は、身長174cmに対して、体重88kg(お正月は90kg超)。今は6ヵ月のダイエットを経て、現在70kg−18kg)。BMIは、人生初の「普通」とされる23.1になっています。

次のダイエット回で、ガンコなおデブのこべりつきを落とすのに、何が効果的だったかをお教えしましょう。

この記事を書いた人

友人屋

運だけを頼りにニッチを歩み、不惑の年へ突入。姓名判断の「大器晩成」のワードを信じ〝素振りを続けドラフトを待つ〟天性のオプティミスト。
デブ歴=年齢だったが、42歳で20kgのダイエットに成功。その方法を伝えるためブログサイトを展開している。