俺たちが若い頃は…、最近の若いもんは…、などというお決まりの常套句。古代エジプトの壁画にも書かれているということから、世代間のギャップは人の営みとともに常にあったことが伺い知れますが、不惑の年を越えて心配になることが1つ。それは、若い世代が名画と出会える機会が圧倒的になくなっていないか?ということ。
昔は良かった…と過去を美化するつもりは毛頭ありませんが、それこそ昔は月曜ロードショー、水曜ロードショー、金曜ロードショー、土曜洋画劇場、日曜洋画劇場…とほぼ毎日どこかのチャンネルで映画がやっていましたよね。弊社は決して裕福な家庭ではありませんでしたが、ジャッキーにロッキー、エイリアンやジョーズ、コロンボやインディジョーンズ、ダーティハリー…。映画館に出向かずとも、一世を風靡した作品とは期せずしてテレビで出会うことができていました。ところがいま、テレビで映画を見られるのはまれで、意識しないと見られない状況になっているではありませんか。映画がどんどん身近ではなくなっていく、、、ジブリ以外は。
団塊Jr世代のわたくし友人屋が子どものころに事故的にテレビで出会い震えさせた、スピルバーグの「激突」や「ジョーズ」、市川崑の「犬神家の一族」などと、同じくいま小学生高学年になるウチの子どもが出会うことは、映画好きにならない限りまず考えられない。
映画で発散されるフラストレーション
映画を見る意味としてポンとひざを打つのは、映画評論家の町山智浩さんがおっしゃっていたこちらの言葉。
全ての映画は(観る人の)フラストレーションを発散させるためにつくられていて、そのために観るし、何よりも、創る側も(自分の)フラストレーションを発散させるためにつくった映画はいい映画
確かに!同性異性にかかわらず全くモテず基本1人で、発散できないリビドー…ようするに承認欲求と性欲をもてあましまくっていたハタチ前後、映画ばかり見ていました。救いを求めるように。
それもそのはず。これも町山智浩さんの名著「〈映画の見方〉がわかる本」に詳しいのですが、名画と評価されている作品の多くは、社会から認められていなかったり、元いじめられっ子だったりと“門外漢”“持たざる者”側だった映画作家が、自らのフラストレーションを発散させるためにつくられたものが多いから。スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスやブライアン・デ・パルマやマーティン・スコセッシや…。
元々ハリウッドを牛耳る“持つ側”から相手にされていなかった人たちが好きに作った映画が「支配しているものは全部クソだ」「30歳以上(オトナ)を信じるな」を合い言葉としていた若者に支持され、一大カルチャーを築き上げた歴史があるから、同じく誰からも認められずモンモンと心が闇に染まろうとしてしたわたくし友人屋の心を動かしたのでしょう。スクリーンの向こうで代わりに罪を犯し、殺されることによって。追体験ってやつですね。
勘違いされがちなロッキー
上記の映画作家たちが輝きだした同時代に登場したのが、ロッキーというかシルベスター・スタローン。
ロッキーというと、筋肉だけが取り柄のマッチョが殴り合う、低能男性向け映画と勘違いされている方が多いのですが、とんでもない。50回以上のオーディションに落ち続けたシルベスター・スタローンが自ら這い上がるために3日で脚本を書き、アカデミー賞作品賞を受賞した名作です。
ロッキーも昔はテレビで頻繁にやっていましたが、これも今ではまったくやらなくなってしまいましたね。そのためか、同世代でもロッキーのことを知らない、覚えていない人が増えてしまった。「なんか結局は最終的に勝つやつだよね…」と。否っ!勝利を必然とした単純な勧善懲悪映画では決してない!!
これはボクシングを書いていますけど、単なるスポーツ映画ではありません。人生するかしないかのその分かれ道で、する方を選んだ勇気ある人たちの物語です。
(月曜ロードショー解説より 映画評論家/荻昌弘 )
という名解説があるように、持たざるものが自ら立ち上がる、追体験するにはうってつけの作品です。
この作品をRoom8のスクリーンで一緒に見ませんか?そしてロッキーと、スタローンと一緒にに立ち上がりましょう!もちろん、現実社会でも。